そうだ 京都、行こう


公式サイト https://souda-kyoto.jp/

「そうだ 京都、行こう」のフレーズで有名な、JR東海のCMで紹介されたスポットの一覧です。

2022年
神護寺「秋が待ち遠しかった」と語る人は今年きっと多い。
私がそうであるように。
建仁寺口をひらけば、
暑い しか出てこなくなったとき、
人に必要な風景ってなんだろう。
2020年
早春石庭編
大徳寺大仙院
なんで今まで、この時期に来なかったのだろう。
石庭を前に、そう思いました。
2019年
盛秋秋は夕暮れ編
真如堂
秋は夕暮れ。
このあと急いで帰る理由が
どこにも見つからない。
初夏苔と新緑編
祇王寺常寂光寺
苔が、新緑を見守る。
「古と今」は、
共に美しく生きていました。
春はあけぼの
鴨川
春はあけぼの。
枕草子は最高のガイドブックでした。
2018年
酬恩庵一休寺「1200年たっても、人間はそんなに変わらない」
京都に25年通い続けた旅人の声が聞こえた。
勧修寺いい春を残してくださって
ありがとうございます。
私たちも、美しい過去になれるといいけれど。
2017年
東寺ニンゲンは、ちょっとしゃべりすぎかな。
もの言わぬ景色の、なんと雄弁なことだろう。
二条城手のひらの小さな画面を
覗き込んでいた私を
上に向かせてくれた桜です。
2016年
天龍寺外の景色をお借りできて、うれしい、ありがとう。
「借景」は、きもちの言葉でした。
通年そうだ 京都は、今だ。
大徳寺 聚光院
目の前にあるのは、もしかして
16面パノラマスクリーンではありませんか。
京都御所 京都御苑世界でもっとも人気の町の
その「まん真ん中にある春」なんですから。
2015年
北野天満宮歴史と、美しい風景の経験から、人は多くを学びます。
ああ、私の秋は忙しくなるぞ。
下鴨神社過去の場所から未来を想像する。
この町は、そんなふうにできている。
初夏東福寺永観堂初夏に私は「秋のガイドブック」を開きます。
紅葉の名所は、すなわち
新緑の名所ですから。
平安神宮美しい桜に出会おうじゃないですか。
この一年を前向きに生きるためにも。
2014年
盛秋源光庵紅葉が、宇宙や人生の話になってしまうとはね。
萬福寺この夏の旅が、いつか、きっと
家族のチカラになってくれる気がします。
初夏比叡山延暦寺京都の町の匂いは、この山からもらって
できているみたいだ。
十輪寺まだ、知らない場所がある。
まだ、知らないことがある。
それがなんだか、うれしいんだなあ。
2013年
宮川町「ここに来なければ、今ごろ何してた?」
「きっと、こたつで、うたた寝してた」
盛秋南禅寺天授庵「今年の紅葉」を見に行く、と言いながら
「今年の自分」を見に行く私、でもありました。
石清水八幡宮夏の子どもを育てるのは、
青い空と太陽だけじゃないのです。
初夏地蔵院生まれたての緑に囲まれていました。
古いお寺も、毎年この季節に、
イチからスタートするんだね。
妙心寺退蔵院どの町の、どこの桜が好きですか。
おや、迷っていらっしゃる。
どうぞ、ごゆっくり。
2012年
八坂通「住みたいな、この町に」
「来るたびに、そう言っているね」
盛秋二尊院紅葉は、旅の入り口にすぎませんでした。
伏見稲荷大社早く大きくなれ。
いや、ゆっくり大きくなればいい。
夏は、親も戸惑いながら育ってゆきます。
初夏蓮花寺夏が来る前に、
考えたり感じたりすべきことは多いのです。
龍安寺あ、石庭が、笑ってる。
いつもは難しい顔しているお庭にも、春がきました。
2011年
二年坂聞こえてくる「京ことば」も
風景のひとつだと気づきました。
盛秋毘沙門堂いい秋ですね、と言葉をかわしあえる。
それだけで、うれしい。
東本願寺西本願寺この町の過去は、
君たちの未来のためにあるのだよ。
初夏常寂光寺貴船神社浅緑、浅葱、萌葱、鶸萌葱、
「日本のみどり色」が見つかりました。
東寺どういうわけだろう。
今年は一本の桜と
じっと向き合う春にしたかった。
2010年
知恩院母と私は、京都に通っているうちに、
笑顔が似てきたそうです。
金戒光明寺「暑い」「寒い」だけで
私の一年が終わるなんて、
ジョーダンではありません。
清水寺「清水の舞台」を
子どもと一緒に予習してくる。
そんな旅じたくもあるのです。
初夏祇王寺大徳寺(高桐院)古くからあるのに古くない。
毎年、新しい生命力を
緑からもらうようにできていました。
仁和寺遅咲きのサクラです。
見なければ「春の義理」が果たせない、と
京都の人は言うのです。
2009年
祇園巽橋連れてきてあげたかった。母と娘が互いに思っている。
盛秋光明寺[長岡京市]2009年の秋。今わたしたちは
日本の歴史の、どのあたりをあるいているのだろう。
初秋泉涌寺中秋の名月。風情のある言葉です。ひさびさに口にしました。
東福寺一二〇〇年もの歴史の前では、
親子の年の差なんて
ひょいと乗り越えてしまいました。
初夏法然院生まれたばかりの季節の匂いがしました。
「人と緑のいい関係」が、ここにはありました。
醍醐寺見事なサクラであればあるほど、
長い冬の時間、
耐えてきたことを思うのでした。
初春北野天満宮「みんなどうか元気で」と思う人で、
この季節、
この町はできているみたいだ。
2008年
西陣界隈ふだんとは、
娘はしゃべり方がちがってる。
母ははしゃぎ方がちがってる。
盛秋三千院紅葉の中で
仏さまに出会ってしまいました。
急いでケータイを切ります。あしからず。
初秋勝林院涼しくなったら考えよう、
そういって後回しにしていたこと、
ここに来たら思い出しました。
平等院私のばあい、争いの歴史より
京都の「花の歴史」から多くを学んでいます。
勧修寺「きれいなものを目にする」には、
ちょっとした努力がいる。
家でニュースを見ていると、そう思います。
比叡山延暦寺絵日記を書いて、
それでおしまいに
なってしまうような夏じゃなく。
南禅寺肩に花びらが落ちてきました。
どんな大画面テレビでもできない
お花見でした。
初春八坂神社年が明けたら初春とよんで、
ほら、もう、私たちは「春」を探してる。
2007年
西花見小路お勉強することが、
まだまだいっぱいあるわね。
母はうれしそうでした。
常寂光寺暑い夏を乗り切った私に、
この町が「おつかれさま」と
言ってくれました。
大覚寺美しい景色は人がつくり上げるものです。
この当たり前のことに
一〇〇〇年たった今、ドキリとするのはどうしてだろう。
妙心寺同じように驚いて、
同じところでうなずいて。
そうして、この夏、家族になっていく。
初夏城南宮桜がすんでも
一息ついてるヒマはないですから、
京都は。
智積院京都なら、
そのスーツのままで
いいんじゃないですか。
東寺青空にいちばん似合うのが、
高層ビルってわけはない。
上賀茂神社春のない国には、
わたし、住めないかも。
初春下鴨神社一年の「旅初め」を
どこにするか、だ。
2006年
詩仙堂そんなに急いで
紅葉の秋に来られちゃ、
ツマンナイ。
曼殊院一年なんてアッという間に過ぎていく。
それじゃいけない。
三十三間堂おい、父さんを尊敬していいんだぞ。
初夏安楽寺「お天気よかったから、
京都に来ちゃった」
ケータイの留守電から妻の声がした。
梅宮大社手帳を見たら、一日くらい
自分のために使えそうに思えました。
三室戸寺「京都」「初夏」「花」で検索して、
息子が教えてくれました。
円山公園「ありがとう」
桜を見上げて言ったのは
初めてな気がする。
初春平安神宮年賀状にあなたが書いた
「初春」とか「新春」とか。
2005年
善峯寺子どもはひと夏ごとに、
おとなはひと秋ごとに、
初秋銀閣寺散歩のついでにでも、気軽に
お立ち寄りください。足利義政
勧修寺桜のあと、モネの描く
「睡蓮」のようになるんです。
2004年
龍安寺龍安寺のA面。知らない、とマズイです。
龍安寺のB面。知ってると、スゴイです。
清水寺清水さんも、ちょっと夜更かしする。
それが秋なんですね。
高山寺大きな夏休みが、
小さなお寺で見つかる。
それがうれしい。
初夏神護寺あの空海だって、
自分には「ここの、この夏」が必要だと
思ったわけです。
平安神宮「あぁ、わたしは、春を
一年間待っていたんだなぁ」と
気づいた瞬間でした。
2003年
金閣寺陽気に誘われるだけが、
旅ではないのです。
平等院過ごす場所を
選ぶだけで、人は
そうとう幸せになれるもんだ。
二条城家康も、
春の日を選んで
京都へ引っ越してきたんです。
2002年
冬の京都「冬の京都」が
その男を強くした。
真如堂ご本名は真正極楽寺。
「正真正銘のゴクラク」は、
町角を曲がるとあったりするんです。
貴船「京」と「水」とでできた
「涼」でした。
天龍寺長い争いの時代を
変えたい、と
植えられた桜でした。
2001年
知恩院「冬の京都の決心」、
長持ちしそうな気がするなあ。
醍醐寺「醍醐寺と醍醐味」
は、きっとカンケイがあると、
思っていました。
清水寺「修学旅行」を
家族でやる、
なんてどうだろう。
初夏南禅寺きょう一日
緑に囲まれて暮らした気分です。
自分の別荘でもないのに、ね。
仁和寺桜の開花が
ニュースになる国って、
すてきじゃないですか。
2000年
東寺著者、空海。
空と海。
東福寺(光明院)日本の「ガーデニング」です。
どなたか、この美しさについて、
論理的、科学的に説明していただけませんか。
萬福寺スイカ、れんこん、精進揚げ、けんちん汁、インゲン豆。
そして、ダイニングテーブルに椅子。
そうか、「一家だんらん」は、
インゲンさんが持ち込んだってわけだ。
毘沙門堂「がんばれ」
「元気出せ」
なんていうよりも……
1999年
大徳寺(大仙院)まっすぐ揃っているのが、  良い。
歪んでいたりズレているのは、悪い。
なんてルールは、
この「ちゃわん」の
どこにも見つかりませんでした。
法然院会議室でエンエン議論、
データとにらめっこの効率計算。
どうですか、いいアイデア出ましたか?
宝泉院この国も
ますます、グローバル化するそうですね。
あちこちが、デジタル化なんだそうですね。
二十一世紀が、もうすぐだそうですね。
善峯寺ここの桜のように
一年にたった一回でもいい。
人をこんなにも喜ばせる仕事ができれば
なんて思いました。
1998年
八坂神社ブロードウェイの賑やかさもいいけれど
「祇園」で過ごす粋な時間も
なかなかですよ。
泉涌寺泉涌寺。なんと読むのか、とよく聞かれます。
七百年以上も門を閉ざしていたお寺ですから。
「せんにゅうじ」と読みます。
鞍馬寺六五〇万年前、金星よりの使者、この地に立つ。
八〇〇年前、義経、天狗と出会う。
初夏大徳寺(黄梅院)そこは、四畳半の喫茶店でした。
余計なものが、ひとつもないんです。
だから、
相手のことを、考えるしかなくなりました。
勝持寺京都の桜、のぼり坂。
縁起のいいもの揃っています。
「ニッポンに春よ来い」です。
1997年
知恩院巨大組織「比叡山」から
ひとり飛び出した法然。
鎌倉時代の「フリー宣言」でした。
盛秋東福寺六百年前、桜を全部、切りました。
春より秋を選んだお寺です。
相国寺スーパースター、世阿弥12歳。
プロデューサー、足利義満17歳。
「能」は六〇〇年前からブームです。
初夏詩仙堂「ある日突然、戦うのがイヤになりました。
花や虫たちと、暮らすことにしました」
哲学の道物事を深く考える、の近頃、
流行っていないようですが。
いいんでしょうか。
仁和寺吉田兼好さんは
「徒然草」を書くのに、
よく取材に来ていたそうです。
1996年
八坂の塔そうか
「考える時間」じゃなくて、
「考える場所」がなかったんだ。
盛秋大徳寺(高桐院)人気のオープンエアでした。
お抹茶をお願いしました。
永観堂今年という年は
この景色で思い出すことに
なりそうです。
初秋正伝寺「ムーン・ウォッチング」
という英語は、ないそうです。
広隆寺仏様に対して
こういう言い方も
なんですが、
「きれいだなぁ」
初夏妙心寺(東林院)「沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす」
が、やっと今、わかりました。
大覚寺(大沢池)「桜がなければ、ただの広場」
なんてところ多いけど。
1995年
東寺ブルッときたのは、
寒さのせいだけかなぁ。
南禅寺日本史という額縁に、
一九九五年の紅葉がおさまっていました。
源光庵私は宇宙を、
友人は人生を、
考えていたのでした。
青蓮院「真夏です」と言っているのは
温度計だけでした。
嵐山ここに、
こういう橋を持ってくるところが、
京都なんだな。
醍醐寺地球に、ポッと桜色になっている
ところがあるとしたら…
京都です。
上賀茂神社「世界文化遺産」が
春の小川と桜のトンネルの先で
待っていてくれました。
寂光院朝夕は、春の京都です。
昼間は、夏の京都です。
1994年
金閣寺シャッター押すのをやめて
じっと、まぶたに
焼きつけています。
法然院世界に
誇れるものって、
こういう風景なんじゃ
ないだろうか。
盛秋祇王寺なにしろ、日本でいちばん
四季にうるさい町の
紅葉ですから。
神護寺紅葉が見事、
というだけでは
名所になれないんだそうです。
京都では。
祇園変えずにきたことへの
努力に
敬意を表したいと
思います。
比叡山延暦寺比叡の山に登りました。
人生観が、グラッとするような
話に、出会いました。
銀閣寺銀じゃなくても…。
銀じゃないから…。私は、好きです。
円山公園こういう時代、
気合いの入ったサクラが
見たいものです。
1993年
三十三間堂修学旅行のときは
「仏さまが一〇〇一体、それがどうした」
って、かんじでしたが…。
伏見稲荷大社「これからのニッポンは?」
の悩みには、
「むかしむかしのニッポン」が
お答えします。
龍安寺石と砂でできたクイズです。何百年も、正解が出ていません。
東寺戦乱の世の武将たちを
ホッとさせました。
平成の企業戦士たちにも、
よく効きます。
盛秋清水寺パリやロスに
ちょっと詳しいより
京都にうんと詳しいほうが
かっこいいかもしれないな。
蓮華寺常寂光寺紅葉なんて
どこにでもある、と
思ってました。 失礼しました。
平等院人の成功、失敗、
一二〇〇年ぶん。
京都は勉強になります。
平安神宮橋殿新しいものばかり
追いかけている人は、
いつも不安だろうなあ。

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