東寺では毎月21日に弘法市が開かれて骨董品や着物だけでなく様々な物が売られています。京都駅から近い場所にある世界遺産で、五重塔などが有名な観光スポットです。
東寺(教王護国寺)の基本情報
よみがな | とうじ(きょうおうごこくじ) |
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建立年 | 796年(延暦15年) |
アクセス | 京都駅から京都市営バス16号系統「東寺西門前」下車 京都駅から京都市営バス42号系統「東寺道」「東寺東門前」下車 京都駅から京都市営バス19, 78号系統「東寺南門前」下車 四条河原町から京都市営バス207号系統「東寺東門前」下車 東寺南門前のルートは弘法さんの日はバスの運行を見合わせる場合あり |
駐車場 | 宝蔵と食堂の間に若干の駐車スペースあり |
拝観料 | 御影堂、食堂などの拝観は無料 |
拝観時間 | 開門 5:00 閉門 17:00 金堂・講堂 8:00〜17:00(16:30 受付終了) 宝物館・観智院 9:00〜17:00(16:30 受付終了) |
住所 | 〒601-8473 京都府京都市南区九条1 |
電話 | 075-691-3325 |
公式サイト | https://toji.or.jp |
東寺の歴史
創始
東寺が建造されたのは796年(延暦15年)で桓武天皇が平安京遷都した794年(延暦13年)の2年後でした。823年(弘仁14年)嵯峨天皇から東寺を任された空海は講堂を建造し金剛波羅蜜多菩薩などの五大菩薩や五大明王を安置し、826年(天長3年)には五重塔を建立しました。
豊臣秀吉や徳川家康による再建
室町時代に足利将軍家の権力が衰えをみせた頃、土一揆が頻発するようになります。1486年(文明18年)に土一揆を起こした民衆は東寺に立てこもり、幕府の軍勢が鎮圧に向かうと金堂が出火して南大門を含む主要な建造物に燃え広がり、五重塔や食堂などを残して消失してしまいます。しかし、翌年には再建が始められて1501年(文亀元年)には南大門も再建されました。
また、1563年(永禄6年)の大火では五重塔が落雷による火災で消失し、豊臣秀吉によって1594年(文禄3年)に再建されました。さらに、1596年(文禄5年)の伏見城の天守閣も倒れるほどの大地震では食堂や南大門が倒壊してしまいますが再建されました。江戸時代に入り再び火災で炎上した五重塔が1645年(寛永21年)に徳川家康によって再建されました。このときに諸堂と門の整備も行われました。
東寺の境内
境内は自由参拝になっていますが、境内にある柵に囲まれた範囲の中に五重塔や講堂や金堂があり、その柵の中に入るには拝観料が必要です。柵の外からでも五重塔は十分に見えますし境内を軽く散策してみるのもおすすめです。
東寺の関連情報
東寺と西寺
平安京を作る都市計画の際に、平安京南側にある正門の羅城門を中心にして左京側に東寺、右京側に西寺が建造されました。今も残り世界遺産に登録されている東寺とは対照的に西寺は史跡として公園内に痕跡が残されている程度です。西寺は990年(正暦元年)に塔を残して消失しその後、1233年(天福元年)の火災で残された塔も消失して廃絶しました。藤原定家の「明月記」のなかで西寺について当時の火災に関して「もとより荒廃の寺」と記されるような状態だったようです。
都七福神
都七福神(みやこしちふくじん)は、京都市・宇治市の7カ所の社寺から構成される七福神めぐりの巡礼札所です。室町時代に京都で最初に七福神信仰がおこり、それが次第に日本各地に拡がっていったと言われています。
- 恵美須神社(恵比寿神):商売繁昌・大漁・五穀豊穣
- 松ヶ崎大黒天(大黒天):豊作開運 招福
- 東寺(毘沙門天) :家族を守り勇気を与える
- 六波羅蜜寺(弁財天) :夫婦円満・知恵を与える
- 赤山禅院(福禄寿) :長寿長命
- 革堂(寿老人) :家庭円満・無病息災
- 萬福寺(布袋尊) :平和を授ける
関連リンク
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