千体もの等身観音立像があることで有名です。たいてい何体かは出張しておられます。毎年1月に通し矢と呼ばれる弓道競技会が行われ、成人を迎える弓術家が参加します。
三十三間堂(蓮華王院)の基本情報
よみがな | さんじゅうさんげんどう(れんげおういん) |
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建立年 | 1164年(長寛2年) |
アクセス | 京都駅から京都市営バス100, 206, 208号系統「博物館三十三間堂前」下車 |
駐車場 | 無料 50台 |
拝観料 | 一般600円 高校中学400円 子供300円 |
拝観時間 | 8:30~17:00(11月16日~3月は9:00~16:00)受付終了は30分前 |
住所 | 〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657 |
電話 | 075-561-0467 |
公式サイト | http://sanjusangendo.jp |
三十三間堂(蓮華王院)の関連情報
ふたつの三十三間堂
現在残されているもの以前から左京区岡崎の辺りに鳥羽上皇が建造した得長寿院(とくちょうじゅいん)という三十三間堂があり、得長寿院には千体の聖観音と丈六の聖観音が祀られていました。残念ながらこちらは1185年(元暦2年)の地震で倒壊してしまいましたがそれまで京都にはふたつの三十三間堂があったのです。
通し矢
浅岡平兵衛は1606年(慶長11年)の試技で100本中51本を射通して天下一と称されました。これ以降、武芸者の名誉をかけて矢数を競うような風習ができました。
現在行われている通し矢は、毎年1月に京都府弓道連盟主催の競技会で、成人を迎える弓術家が腕を競い合います。現在の通し矢はお堂の西隣の広場で行われていますが、江戸時代に行われていた通し矢はお堂の縁側で矢を通していました。縁の中ほどに今だに残っている矢があるので探してみてください。
三十三間堂(蓮華王院)の歴史
千体の観音像と長大な建物
三十三間堂は後白河上皇が願主となり当時強大な権力を持っていた平清盛の協力を得て1164年(長寛2年)に建造されました。この巨大な建物は柱間が三十三間もあります。上皇は千手観音に対する深い信仰心から千体の千手観音像を祀りました。
建長の京都大火
1249年(建長元年)姉小路室町から出火した火勢は強風で広がり、現在の通り名で南北は八条通から御池通まで、東西は京極通から西洞院通までの範囲を焼き尽くしました。このとき三十三間堂も消失しましたが、寺僧が千手観音を運び出して観音像165体と二十八部衆や丈六観音は巨大であったために頭と手の一部のみが救出されました。三十三間堂は1251年(建長3年)に後嵯峨上皇により再建が進められ、15年後の1266年(文永3年)に再建されました。
豊臣秀吉による復興
三十三間堂は難を逃れたものの妙法院は応仁の乱のときの火災で焼失してしまいました。太閤秀吉は妙法院を再建し、お堂や千体仏の修理も行いました。秀吉の死後も遺志を継いだ秀頼の代まで修理は続き大仏殿は1595年(文禄4年)に完成しました。秀吉の死後豊国大明神として祀られています。
三十三間堂(蓮華王院)の境内
中に入って三十三間堂を見ると、その建物の長さに驚かされます。また、東側に庭園がありそちらも楽しめます。三十三間堂の中に入ると更に千体の千手観音像に圧倒されます。それぞれに個性があり一体一体眺めていても飽きないのですが、千体の千手観音像なのでじっくり楽しめます。
現在、京都府弓道連盟主催により行われている通し矢は、江戸時代にお堂の東側の縁側で行われていた通し矢にちなんでいます。